異端がどんなに素晴らしいか

今日(6月21日)放送の大竹まことゴールデンラジオより、今日の「大竹紳士交遊録」というコーナーは映画評論家のおすぎがゲストコメンテーターだった。

いつもは映画に関する評論を話すことが多いけれど、今日は「異端(児)であることが、どんなに素晴らしいことか」について話していた。

おすぎは自ら公言しているように「おかま」として芸能界で活躍しているタレント。彼は何十年も前の幼少の頃から、男であるにも関わらず女性の言葉で話し、生きてきた。しかし親からも学校の先生からも何も言われなかったと言う。もちろん学校のクラスメイトからは男女(おとこおんな)だとかいろいろな罵声は浴びてきたというが、自分はゲイとして生きていくと決めたのだから、誰に何と言われようと構わないと思ったと言う。

しかし最近の芸能界では、女性らしさを売りにした男性タレントが(お笑い芸人に多く)出るようになって来ている。なのに普通に女性と結婚して見たり、境界線が希薄になってきてつまらないと言う。

確かに異端児として生きていくには、スタンダードとして生きていくのは無理なんだし、アンチとして生きていくしかないのだから、荒野の人生だ。しかしアンチとして生きていくからこそ、好き勝手なことが出来て楽しい人生を送れるのだとも言う。


何となく言いたいことが理解できるような気がした。
自分も少数派の生き方をしている人間。
普通の人たちのように大学に進学して企業に勤め、定年を迎えるまでその企業で勤め上げる。年功序列に従って、昇進を繰り返し、ある程度まで昇進したらあとは失敗をしないように大人しく業務をこなす。そんな生き方は、自分には無理だ。
34歳で環境関連の仕事に転職し、自分はこの仕事に一生をかけるつもりだった。もちろん「あの」会社に対しても一生をかけるつもりで。けれど、結局40歳まで派遣社員のままで使い捨てにされた。「使い捨て」にされたことに対しては、今でも腹の中が煮えくり返る思いで仕方がない。

自分は異端児なんだと思う。良いも悪いもない。異端児なんだから仕方がない。そして異端児ははじかれるものなのかも知れない。

けれど、おすぎが言うような、異端だからこそ楽しめる人生もあるのかも知れない。それを身を持って示しているおすぎが素敵だと思った。「異端がどんなに素晴らしいものか」。自分もそれを感じ取れる人生を送れたら良いな、と思う。

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