尊敬する主治医との関係

昨日は2週間に一度のメンタルクリニックの日だった。受付を済ませると、いつもより少し待合いの患者さんが多かった。私の順番は最後のようだ。

誰もいなくなった待合室で主治医から私の名前を呼ばれ、診察室に入る。主治医からいつものように「どうですか」と質問を受けた。

私は「いろいろと悩んでいます」と単刀直入に答えた。毎朝会社に行くのが辛い、最近毎日のように人間関係の夢を見て悩んでいる、などいくつか話しをした。以前は仲の良かった所長と仲良く過ごしている夢を見たあとは「以前のように仲直りしたい」という想いで胸がいっぱいになる。どこで歯車が狂ってしまったのか・・・・。やり場のない想いで何故だか後悔の気持ちにもなったりする。・・・自分に原因があったのだろうか。

「会社との闘争の件はどうなりましたか。」と主治医に聞かれた。遅々として進まない今の状況にイライラし、半ばどうでも良いような気持ちになっていることを伝えたが、「本心からどうでも良いのなら良いですが・・・(違うのでしょう?)」と、ズバリ言われてしまった。確かに本心からどうでも良いと思っているわけではない。主治医には自分の心を見透かされているような感覚になる。

「他にやってみたい仕事は何かありますか」と聞かれたが、「今の状況を解決出来ずに別の仕事を見つけても、自分の人生をどうやって生きていったらいいのか全く分からない」と答えた。自分なりにいつも「自分が正しいと思うこと」を一生懸命やってきたつもりだった。なのに結果、いつもこうして不利益な状況に置かれてしまっている。「何が不利益な状況なのでしょうか」と主治医に問い質されたのだが、確かにその通りで、何が正しいのか、何が普通なのかは突き詰めて考えれば正解なんてものはない。

けれど、自分に原因があったから「ダメ」なのだ、と考えるのか、自分に原因があったけれど「それで良い」と考えるか。似ているけれど全然違うと思う。性格もあるだろうけれど、「一生懸命やってきたのに不利益を被っている」と考えてしまうか、それとも「一生懸命頑張ってきたからこれで良い」と思えるかで、大きな違いがある。

主治医は「なるほど」と答えた。そのあとで、

「あなたは、例えば会社ならその会社を擬人化して、自分だったらこうするのに、という気持ちを相手にいつも投影してしまっていますね。」

と付け加えた。「なるほど」と今度は私が納得した。確かに私はいつも相手の気持ちに「自分だったらこうするだろう」という自分の気持ちを投影している。主治医が言うには、そこでいつもボタンを掛け違ってしまっているのだそうだ。

そういえば会社の先輩から言われたことがある。
「君は相手に自分の理想像を押しつけてしまって、結果そのギャップに苦しんではいないか?」
「10人いれば10人全員が違う考えをもっているのだから、聞いてみたって仕方ないよ」


今までは先輩が迷惑に思って冷たくされたのだとばかり思っていたが、主治医からは「違いますよ、あなたにはそういうアドバイスをしてあげたかったのでしょう」と言われた。まー他人の気持ちは誰にも分からないのだから、先輩の気持ちは先輩にしか分からないことだけれど。

今回はずいぶん主治医と話し込んだ。40分くらい話していたようだ。

最後に主治医から「あなたのホームページを見ましたよ」と言われ、写真について少し軽い話しを交わした。

私は今の主治医のことが好きだ。とても頼りにしていて、ある意味頼りすぎている部分があるかも知れない。けれど、話しをすると不思議に納得できることが多くて、スッキリした気分になれる。医師と患者という関係の限られた付き合いだけれど、もっといろんなこと、悩みを打ち明けて話しを聞いてもらえたら心から有り難いと思う。

この記事へのコメント